17ワード目『しゃがむ』

 

「より高く飛ぶためにしゃがむ事を学ぶ」

 


これは、私が尊敬するラッパーの1人、志人のリリックの一節だ。

 


この言葉に、私は今までの事が救われた気がした。と同時に、甘えもした。

 


私は今、大いにしゃがんでいる状態なんだと。これから大ジャンプかます伏線が今なんだと。

ずっとそのままの体勢でいるのはかえって固まってしまって動けないというのに。

 


いい加減、一回跳んでみたほうがいいだろう。大して高さは出なくても、なんなら地面と跳んだ足の高さはヤクルトくらいしかなかったとしても。散々しゃがんでるんだ、一度飛ぶ体勢を取ろうと思う。

 


そんな折、初めましての方にライブを誘われた。吉祥寺NEPO、初めての箱と初めての共演者。

中には、前にXで流し見ていいなと思ってサブスクで聴いてるバンドもいる。なぜそこに私の名前がある?

 


企画してくれた方は、YouTubeで「違う国」を聴いてくれたらしい。よくもまぁ見つけてくれたと思う。

 


年末の金曜日、夜職がおいそれと休むわけにも行かず、トップバッターをやらせてもらったら他アーティストも観ずにすぐ現場に行く事だろう。なんて失礼なやつだ。

 


それでも、今までの自分なら断ってた話。今回受けたのは、もうしゃがんだままの体勢に疲れてしまったからだ。

 


12月15日、金曜日。

与えていただいた30分でどう飛べるだろう?

着地の事を考えるのは一旦やめにしよう。

 


もうじゅうぶんだろ?

 


宜しくお願い致します。

16ワード目『美味い飯』

 

なんとも雑なお題にしてしまったが、結局これさえあれば世の中どうでもよく思えてくる。

 


腹が立つ、ということは、必然的に腹が減っている証拠だ。

 


食事とは本来、自身の生命を保つためにやるべき行為だ。必要最小限の栄養さえとれればそれでいいわけで、味を追求する必要もなければ、食べ過ぎるという行いは愚の骨頂と言えるのかもしれない。

 


それでも食べ過ぎてしまうのは何故か。味を求めるのは何故か。

答えは明白、食事という行いそのものが1番人としての幸福度を高めるからだ。

 


野生で生肉や草木を食う他動物にはない、人間特有の感情

 


食い物だけでその人の生活水準やステータスが測られてしまう始末

 


めんどくさいけど、面白い常々思う。

 


良い事があった時に食べたいものもあれば、嫌な事が続いてる時も「これ食って良い日だったと思い込もう!」とする時もある。

 


高級フレンチとか焼肉とかも勿論良いけど、俺は冷凍チャーハンにキムチ乗せるだけでいい。

 

 

 

もうそれだけでいいんだ

15ワード目『東京』

上京、なんて立派なものではないが、なんだかんだで7年経った。

ずいぶんとダラダラ歩んだものだ。ただ、その話がしたいわけではないので、それはまた今度。

 


今回、このタイトルにした目的としては、「"東京"という曲名がついたもの間違いなく名曲説」について検証したいからだ。

 


そういえば昔、吉祥寺歩いてたら水ダウのスタッフに声かけられて「髪の長い男性を探してまして、お兄さんのよかったら測らせてください!」ってことがあったな。上には上がいすぎてO.A.は無理だったが。どうでもいいな。

 

話を本題に戻して、自分がぱっと思いつく限りをざっくり挙げていく。

 


くるり/東京】

1998年、くるりのデビューシングル。東京に出てからの感じる事、または鈍くなった事。今の中途半端さはこんな感じだよって、理想と違って今の東京での暮らしはこんなもんだよ、でも結構真面目に頑張ってるよってのがさらけでてて凄く良い。帰宅途中が1番ベスト。

 


【GEZAN/東京】

くるりの歌とはかなり対照的なものだ。国を憂いた、この先の未来を案じ、そして容赦なく吐き捨てる。しっかり表現者の個性を出し惜しみなく伝え、発信。

 


【MONO NO AWARE/東京】

彼らの東京もこれまた一線を介している思う。

というのもメンバーの出身地が八丈島出身であり、「東京都民であり田舎」産まれの彼らならではの東京目線というのが面白い。

 


【PEOPLE 1/東京】

"不思議な気分だな  消えない街の明かりがこんなにも惨めにかせるのか"に全てが詰まっている気がした。

 


【きのこ帝国/東京】

個人的キングオブ東京ソング。日常生活がこんなにセンチメンタルに、エモーショナルに、またはその両方のブレンド具合にやられた。控えめに言って最高。

 


今回は、「東京」という2文字のみのタイトルに絞ったが、「TOKYO」「東京の〜」みたいな曲がもっとたくさんあり、そのどれもが結構良かったりする。

 


これは推測だが、東京をテーマに歌を作るとなると

 

・作りやすい(実体験ネタが使える、理想と現実的なうたが作りやすい)

・等身大になりがちなので本来のそのアーティスト自身の温度感で歌える→違和感がないので、そのアーティストにとっての代表作になりやすい

 

といったメリットが生まれるのでは?とブログを書くにいたって感じたところだ。

 


さて、私は一体東京をテーマにしたらどんな歌ができるのだろう?

実はすでに構想はあったりなかったり。やっぱりリアルな感情が1番詰め込みやすい。

だいぶ恥ずかしいので実際に完成するのはまだ遠い未来な気がする。もっと堂々とできるようになったらね。

 


以上、今週の岩下でした。

 


P.S.余談だが、東京をテーマとして私が1番好きな曲はグッナイ小形の「きみは、ぼくの東京だった」です。マジで泣ける。

14ワード目『ちゃんと』

「ちゃんと」って何さ

「「すべきことを行うさま。ぬかりなく。まさしく。」」

Googleで検索したらこう出た。

 

昔から思う。ちゃんとしろって何なのさ。

すべき事を行うってなんなのさ。それはちゃんと指示してくれていたか?

いや、ずっとされてはいたのか。ではすべき事を行えなかった理由はなんだ。

ちゃんと苦しんで、ちゃんとに苦しんで、その結果ちゃんと間違えて。

ちゃんとって言葉が、曖昧なのに的確についてるツラして殴ってくる。

 

トリックアートみたいなもんなのかもしれない。こちらから真正面に見れば綺麗に一列に並んでいるのに相手から見れば乱雑に置かれている。それを整えろと言ってくる。同じ目線で見てくれているのか。俺は同じ目線でいれていないのか。

 

ちゃんと仕事をして、

ちゃんと稼ぎを得て、

ちゃんと飯を食って、

ちゃんとやらなきゃいけない事もう一回おさらいして、

 

ちゃんと起きて、

ちゃんと風呂入って、

ちゃんと曲作って、

ちゃんと毎日をこなして経験値ためて何かしら世の中のためにできることをって

 

 

うるさいもう、ちゃんとなんて辞めたい

ちゃんとから離れて自由に暮らしたい

強いて言うならちゃんと死なずに生きてるだけでじゅうぶん過ぎるくらい偉くないか?

みんな大体ちゃんとしてる、だからきっと大丈夫だよ。もうさ、それでいいよ。

 


変な結論だが、

何かを教える時、「ちゃんと」って言葉は使わないようにしている。

何かを自分に言い聞かす時、「ちゃんと」を多用して言い聞かしている気がする。

まるで呪いの呪文だ。短めで、効果が高い。

 

俺はこれからもちゃんと「ちゃんと」に苛まれるだろう。

ただそれでも、ちゃんとしていよう。

 

ちゃんと音楽も続けるしこのブログもちゃんと続けるから

みんなこれからもちゃんとチェックしてくれよな

 

27年、この言葉に向き合ってきた岩下でした。

13ワード目『住み慣れた(気がしてた)街』

今の家に越して4年近く経つ。

 

最寄駅だと思っていたところが、実は隣駅の方が近いと気付いたのは住んで1年以上経ってからだった。

それからたまに飲みに行くようになる。最近1人飲みはしなくなったが、元々生粋のソロプレイヤーゆえ、カウンターでよく絡まれたり、他が従業員に絡んでるのを確認してからこちらから仕掛けたり。この街はいまだにタバコが吸える居酒屋が多くて助かる。赤星の瓶ビールを扱ってるところも多いから逆に困る(悦)。

 

最近知ったが意外と雑貨屋も多いらしい。まぁまぁ値を張るアンティーク家具を眺める。紙のお香なるものを試しに買ってみる。

 

古本屋の雰囲気を楽しむ。すぐにトイレに行きたくなって探す。

 

最近は近所のパン屋にハマっている。すげー美味い。全部美味い。毎月その店に通う為に家計簿で予算を立てるか悩むレベルで美味い。

 

すぐそばにコンビニ!ってほど近くはないが、1番近いコンビニがミニストップなのが地味に嬉しかったりする。特に理由はないが何故か嬉しい。

 

最近できたらしいたこ焼き屋で昨日初めて買ってみた。出汁系のたこ焼きですごい良かった。THE BLUE HERBのポスターが貼ってあった。

 

ちょっとした商店街もある。肉屋とか花屋とか。すっぽんの店もあった。結局サイゼで間違い探しをする。

 

そういえば、これも先日の話しだが、ちょっと歩いたところにワークマンがあった。謎の安堵感に包まれる。とりあえずアロンアルファを買った。

 

気になってる長崎ちゃんぽんのお店、行こうと思う度にやっていない。そういう一面もこの街にはある。

 


4年という月日は、慣れるのにじゅうぶんな時間だとは思う。でも歩くたびに知らない事だらけの感覚になる。新しい店もノーマークだった店も、きっとまだまだあると思う。

 

最近スーモで物件を見たりしてるが、非常に離れるには惜しいとも思えてしまうからめんどくさい。

 


次は別の古本屋に行こうと思う。あの雰囲気、多分昔のゲーム攻略本とか置いてそうな予感がする。

居酒屋も開拓したいし久々に行きたいところもある。結局牡蠣選びそうな気もしてるが。

 


休みは布団から出ないスタイルの俺様を、ここまで引きずり出すとは。舐めてたぜ。

 


もう少しだけやっかいになります。どうかこのまま、ずっと慣れない街であってくれ。

12ワード目『RADWIMPS』

初めて存在を知ったのは中学になってから。スカパーで"マニフェスト"のMVを観た事だった気がする。

感想としては、「おもしれー!」が1番近かった気がする。いい曲だ!というよりはすごい歌だな!?って感じ。

 


そのまま一気にのめり込み、バンドという存在にかなりハマる。元々ファンモンやET-KING等好んでた自分は、バラード調より早口で詰め込む疾走感系にどっぷり浸っていた。

その中でもRADWIMPSという存在は特別なものとなっていく。

 

さらに拍車がかかったのは高校2年の時、Twitterというものを始めてからだ。wimper(RADWIMPSのファンの愛称)とのコミュニティに出会い、そこで知り合った人たちとRAD好きのLINEグループに参加、RADの話しは勿論、くだらないやりとりをたくさんしたのが何よりも楽しかった。

 


高校を卒業してからは実際に会いに行ったりもした。静岡で仕事をしてた私は高速バス2時間半かけて東京に行ったり、栃木、大阪、奈良、岡山にも行った。

特に観光をするわけでもなく、宇都宮駅サイゼリヤでだべってとんぼ返りしたり、奈良のご自宅でBBQ回に参加したり、宿も取らずにカラオケオールしたり。

自衛隊という閉鎖的空間にいた事もあってか、「ただ外で友人と過ごす」という事に凄く憧れを持っていて、その欲を叶えてくれたのがwimperという存在だった。

 

中には、ギターがすこぶる上手い人がいて、その人がRADの曲を弾いて他の人がカラオケするオフ会や、wimperとして知り合い他の曲もたくさん聴くよ!というメンツで集まってDJイベントを開いたりもした。

 

今となっては奇跡に近いと思う。あの行動力だけが「自分の人生楽しいと思える」支えだった。


話しは変わるが、RADWIMPSの音楽には上手く伝え辛いがどこか宗教みを感じる。

勿論、歌詞に神様が登場したり直接的なものも少なくないが、人類愛や性善説、エゴイズム等、抽象的なテーマほど10代にもわかりやすいポップ性で落とし込むスキルが魅力だと思う。

 


メンバー1人ひとりの技術力の高さもそうだが、全員仲良く見受けられるのもファンが嬉しく思う要因の一つ。味噌汁'sという別名義が誕生した時の盛り上がりは凄かった。さとしくんの回復をずっと信じていたい。

 


wimperの話しに戻るが、結婚した者、疎遠になった者も多いがいまだに連絡を取る仲の者いて、気付けば10年来の友人とまで来てしまった。全く、不思議なもんだ。

 


私の人生に、青春なんて輝かしい名前をつけるのはおこがましいのだが、それでもそう呼んで差し支えないと思える存在がRADWIMPSであり、wimperだ。

 


これを機に、ここで感謝を表したい。

 


岩下不透明(元ストマン)より。

11ワード目『エラー』

小中学合わせて5年ほど野球をやってた頃、私は攻撃よりも守備が好きだった。

単純に打つのが苦手だったのもあるが、セカンド、ショートを守ってたので、自由に動ける感じが楽しかったし、守備だけは練習も苦ではなかった。

ただ、別に上手かった訳ではなく、よくエラーもした。当然中学3年間、ベンチにも入らなかった。

自分で言ってしまうが、エラーを恐れる子では無かった。「自分は下手で当然」「エラーして当たり前、上手くいけば運が良かった」と考えるタイプの人だったからだ。

その結果なんでも飛びついたりして「ガッツある子」という解釈を大人たちにされては都合良く受け取った。

 


この考え方を、私の生涯ほとんど変えていない。自信が無い、向上心が無い、諦めるな、ひがみっぽい、、色々言われる。

 


うん、うるせぇ。

 


エラーばかり起こりやすいこの世の中で、常に期待と隣り合わせで生活する方が息が詰まる。「エラーしない為に」のプレッシャーも時として大事だが、「エラーを認めて切り替えて冷静に対処する方法」を考えて行動できるかの方が私は重要視している。

 


失敗を恐れないのではなく、恐れる自分も認めて許す。結局、最後まで自分に甘くできる人は自分しかいないのだ。真面目に楽してこうや。

 


ってのが最近出来なくなって焦っているのが岩下。こと仕事において、売上などをはじめ「結果にこだわざるを得ない」事が増えたからだと思う。でも中身は変わらないまま。なんというか、無理ゲーを強制させられてる気分に近い。目の前のエラーにいつも以上にくらってしまう。

 


それによっていつもより立ち直りが遅かったりするのだが、そこはもういい、諦めた。

諦めて、何が悪いか研究してみるよ。

 

決してエラーはいいものでは無い。そんな事はわかってる。

疲れてしんどい事続けるくらいなら、それでいい方向に変わる未来が見えないから私は迷ったりイラついたりもするのだが、もう少し「試す」事はやってみてもいいと思うんだ。

例え失敗して悲しくなっても、そうなる事はわかってる。エラーに慣れる。あまり正しい生き方とは呼べないのだろうが、私はエラー慣れを武器として世の中に挑んでいたい。