8ワード目『バイト』

タイトル通り、誰得にもならないバイト歴(職歴)を記す。本当にそれだけ。宜しくお願い致します。

 

高校生ではバイトをしなかった。全寮制で生活しており、アルバイト行為を禁止されていた。

そのまま一度就職した為、初アルバイトを経験するのは20歳、専門学校のために仕事を辞めてからだ。

それが渋谷の某黄色い看板のCDショップ。憧れだった。バイトの応募の仕方を知らなかったので(調べようとしなかった)、とりあえず「働きたいです」とだけ書いた履歴書を手紙で送ってみた。その後それすらも忘れて普通にCD屋で物色している時に電話があり、「いつ面接来れますか?」と聞かれて「今ちょうどお店で買い物してます!この後暇です」とそのまま裏口入って面接を受けたのも懐かしい思い出である。

 

ただ研修期間の俺は最悪だった。初めての接客、緊張のあまり言葉が出てこず冗談抜きでゲロ吐いてた。なんとか研修終えた頃、希望フロアのJ-POPでは無くレシービングと呼ばれる裏方部署に配属になった。ただこれが最高に楽しかった。要は在庫管理メインの仕事なのだが、無知なジャンルのジャケットを見ると心躍り、唯一全フロアを自由に蹂躙する様は元々縁の下の力持ちポジ推しの自分にとってかなり居心地良かった。

電話予約対応、検品、他店在庫の調節etc...常に増え続ける仕事に追われ、みんな目を回してたが充実はかなりあったと思う。慣れてくるとレジ業務も吐かなくなり、混雑時のヘルプ要因にまで成長した。

 

バイトの合間には休憩時間で何かしらのリリースイベントを観に行き、そのレビューを書いてサイトやフリーペーパーに掲載もさせてもらえた。アーティスト本人がリツイートされるとテンションは上がりまくった。今でもフリーペーパーは捨てれないし、サイトも残ってるのが嬉しい。

上司も同僚も後輩も陽キャばかりでずっと喫煙所の端っこにいるような人だったが、レビューを読んだと声をかけてくれたり「サイトきっかけで曲聴いたらめっちゃハマった!」と言われた時は勝手に泣きそうになったりもした。この職場にいれて心底よかったと思えた。

よく二日酔いで朝出勤して怒られたりもしたが、出会う人みんな出来た人間ばかりで幸せだったと思う。


同時進行で、居酒屋も始めた。きっかけは上京して初めて住む街、祖師ヶ谷大蔵。そこにあった沖縄創作料理の居酒屋に1人でご飯を食べに行った事だった。カウンターでおっさんに話しかけられ仲良くなり、気づけば週1くらいで同じ場所で飲み、気づけば週1でホール業務をやるという、、なんとも個人経営らしいぬるっとした入り方だった。

 


この祖師ヶ谷という街は実にいろんな出会いがあった。居酒屋終わりに飲みに行ったバーにもよく顔出すようになり、W杯やF1、テニスといった深夜放送にスポーツがある日は客として行ってマスターが潰れたらカウンターの中に入って他の人の酒を作る事に、いつのまにか違和感を忘れてしまいそのまま手伝う事に。その後、このいい加減なマスター(マジでお世話になった良い人)の紹介でダーツバーでも働くのだが、そこの店長に「店の近くに引っ越したいからお前の名義を貸して欲しい」と相談されて、3日目でとんだ。事情を説明してマスターから謝罪されたが、その後気まずくなって祖師ヶ谷のお店も辞める事に。

同時進行で居酒屋も店をたたむ事になり退職。

 


その頃にはすでに昼と夜の掛け持ちに身体も金銭感覚も慣れてしまい、すぐに友人の紹介で錦糸町の(これまた)個人経営のカラオケ屋でバイトをする事に。これがまた頭のおかしい店だった。

 


ただ、引くほど長くなってるので、2部制として続きを来週書く事とする。

 


なんか、すみません。岩下でした。