6ワード目『器』

よく、人の心や性格を"器"に例えるじゃないですか。

でかい人は優しい、怒らない、寛大、色々あると思いますが。

1人ひとり器の形が違うのは当然だし、それも個性だと思いますし、別に良いんですよ。

ただ、器って表現されると、なんとなく成長を否定してるみたいで嫌な気持ちになるんです。

一度用意した皿は形を変えられない。材質はなんであれ、変形はできない。そこから否定されるのってなんか悔しい気がしてて。

 

こんな事考えてるあたり、俺はきっと"器が小さい"部類なのだろう。そもそもとうの昔に割った気がする。気合いで受け止めるか、無関心かの二択の方がだいぶ気持ちが楽だと考えてるからだ。

 

これは諦めではなく、賢い生き方でもなく、それこそが真面目な過ごし方だと言い聞かせてるのが岩下ですどうも。

 


器そのものの話をしよう。先日初めて沖縄に行ったのだが、そこで見た「やちむん」という焼き方に惹かれた。

陶器の、ましてや焼き方までに関心を持った事がなく、「良いデザインならそれで」ってスタンスだったが、色味とどこか土っぽさが残ってる感じが凄く好き。現地で茶碗を思わず買ってしまった。

こうなってくると色々集めたくなってしまう。焼き魚とかに使う細長いやつ、炒め物とかいれる大皿用、全然使わないかもだけど茶飲みも欲しい。

 

こうやって人は生活水準を上げるのか、、と我ながら気持ち悪い事考えてた。

 

こんどゆっくり見に行きたいなーとか思いながらセイユーの弁当のコーナーにいる。だって安いんだもん。

 


最後に話し戻って器量の話し。大小計る奴の言うことなんてたかが知れてる。入りゃいいんだから。溢して当然なんだから。そう思って今、割った皿をアロンアルファ的なやつでくっつけてるところです。